学ランの第一ボタンをしめると首に学ランのカラーが当たるのが、気になって気になって仕方なかった。
なぜ、こんなにも苦しいのにしめなくてはいけないのだろう?
寒いならまだしも、暑いときにもなぜ第一ボタンをしめなければいけないのだろう。
暖を保つ以外の第一ボタンをしめる理由ってなんだろう?
これは「ナナメの夕暮れ」からの引用です。
学校って、集団行動ってなに?そんな人に向けて書いています
本の続きには、学ランの第一ボタンをしめないのは
- めんどくさい人
- 頭に出席簿が飛んでくる
第一ボタンをしめることは支配者に対する忠誠心で、しめないことは抗議の意志表明になる。
と書かれています。
決まりだから。と受け入れられる人はそれでいい。だけど疑問に感じている人は、理由について考えてみても面白いですよ♪
私の通う高校は毎年10月1日が衣替えで、どんなに暑くても冬物のブレザーを脱ぐことは許されませんでした。
体調が悪くなるのは、自己管理ができないせいじゃありません!
私も相当めんどくさい人なので
- 学校ってなに?
- 集団生活を学ぶのはどうして?
- 自分探しとは
について、真剣に語ってみようと思います。
学校ってなに?義務教育の目的は?
義務教育を受けるのにはお金がかかりません。
それは、国が国民に方針を植え付けることが目的だから。
お国のため。タダなんだから文句は言わせないってことです。
学校に通う理由としてよく耳にするのは
- 協調性を身に着ける
- 集団生活を学ぶ
ですが、これって明治時代から変わっていないんです。
でもこのおかげで、日本は昭和30年あたりに高度経済成長しました
当時は自動車部品などの工場で、機械的な作業をこなす仕事が重要だったので
- 協調性を身に着ける
- 集団生活を学ぶ
これらを教える学校は、まさに「機械的な集団作業を黙々とこなすための練習だった」のです。
学校は、国が考案した流れ作業要員特別養成システムです
- チャイムがなったら席につく
- 先生がきたら挨拶をする
- 先生が立ったら私語をやめる
条件反射になるまで、大人に忠誠心を示すよう訓練されるのが学校です。
高度経済成長は「忠誠心」のたまものだった
とはいえ、忠誠心にも良い面はありました。
子どもは教師へ忠誠心を示し、社会にでれば上司に忠誠心を示す。上司は社長へ、社長は会長へ。
ヒエラルキーの頂点に立つのはもちろん国です。
学校で機械的な集団作業を学習し、忠誠心の練習をした私たちは大きな成果をあげ、日本は急速に成長しました。
日本人スゲー!と他の国も真似しましたが、どこも成功しませんでした
というのも、海外では一人では頑張るが集団になると手を抜く人ばかり。
当時、忠誠心の練習をした日本人が集団作業でも絶対に手を抜かないことを誰一人知りませんでした。
でも、なぜ日本人だけ?
理由は、そう教育されたから。
- お国のために死ぬのは素晴らしい
- 自分が死んで勝つならいい
自分が犠牲になっても誰かのために全力を尽くすのが日本人の美徳でした。
校則で「暑くても冬の制服」を着る理由
校則を守れないなんてロクな大人にならないよ
学校では
- スカートの丈が短い
- 第一ボタンをしめない
- 髪の色
なんで反抗するんだ。いま守れないと、将来大人になって苦労する。
社会にでたら、もっと理不尽でもいう事を聞かなければいけなくなる。
理不尽でも言う事をきかないと社会不適合者なの?
校則を守らないのが反抗なら、校則を守るのは服従になる。
それってやっぱり、大人に忠誠心を示せと強要されている気がするし、文句を言わず機械的な集団作業を黙々とこなすマシーンに矯正される気がする。
とはいえ、実際社会に出てみたら
- 上司の指示に従う
- 黒を白という
- 余計な疑問を持たない
こんな人間が可愛がられて出世した。
教師の言っていたことは正しかったのだ。
だけど、それは当然のこと。
日本国民全員が、支配者に忠誠心を示し、疑問も抱かず全力で仕事をする教育を受けているのだから。
それでも私は、10月の暑い時期に真冬のブレザーは着たくないし、理不尽なことはその都度自分で考えたい。
考えた上で…。いま私が高校生に戻ったら「バカな大人が生徒を支配して優越感に浸りたいだけ」と、あきれ顔で真冬のブレザーを着ると思う。
それは忠誠心ではなく、バカな人間との接点を減らすため。
心の中は絶対支配させないけどね!
学校は、自分探しのためにいく
校則に疑問を持たず従える人はそれでいい。きっとその後の人生もそれなりにうまくやっていけると思います。
だけど一度でも疑問を感じてしまった人は、
- なぜ気に入らないのか
- 自分は何が好きで、何が嫌いか
- どうしてそれが必要なのか
- 相手の意見を変える方法
を考えると面白いと思います。
言葉にする必要はありません。自分は何が許せなくて、何が好きなのか。心の中で他人との違いを観察しよう
学生は自由を求めるけれど、自由って束縛の中にしかないんですよね。
ネクタイを締めたくないって思っても、ネクタイがなければその感覚はわからなかった。
ネクタイという束縛が先にあってこその、自由なんです。
哲学っぽくなってしまいましたが、学校という束縛だらけの環境では自由についてたくさん考えることができるし、「自分はなんとも思わなかったけど、アイツはすごく嫌がっている」なんでだろう?
みたいな価値観の比較がカンタンにできる環境にあるんです。
それって自分のアイデンティティがみつけやすいってこと。忠誠心や服従といった個性を奪う教育だからこそ、逆手をとって自分を見つけられる。
そう考えると学校も悪いもんじゃないな、なんて思えたりします。
教育が成功すると、マスクをはずすタイミングがわからなくなる
学校教育も悪くない。と書きましたがこれは疑問に感じた人の場合。
最後になんの疑問も持たず、忠誠心の塊となった場合のデメリットを紹介して終わろうと思います。
先に書いた、流れ作業要員特別養成システムが大成功した人材
- 支配者の意見を聞く
- 協調性を身に着けている
- 集団生活ができる
こんな人たちは、マスクをはずすタイミングさえ自分で判断できません。
政府はマスク着用をお願いしたのだから、マスクをはずすタイミングもきちんと指示してほしい
最初ネタかと思ったのですが、真剣に怒っているので驚きました。
え、有名大学でてるけど、バカ?
そんなの周りをみてなんとなく合わせればいいだけです。
だけど国(政府)への忠誠心が強すぎると、自分で考えられない指示待ち人間になってしまうんです。
私はなりたくないですねぇ。
と、なんだかめんどくさいことを長々と語ってしまいました。
本の紹介だけして今回は終わりにしたいと思います。
めんどくさい人は、きっと人と違うことができますよ♪
ではまたっ!
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