この記事はプロモーションを含みます
- いじめってなんだろう
- どれがいじめで、どこまでが許されるの?
- いじめた側は楽しく過ごしていて納得いかない
こんな人のための記事です。
結論だけ言うと
「ミステリと言う勿れ」からの引用ですが、ものすごく深いので読んでほしい!
高校時代、クラスメイトのAがいじめで不登校になりました。
AはBにいじめを受けている。と言ったのですが、おさまらず辞めてしまいました。
私自身、中学時代に不登校を経験したので「あのときAにどうすればよかったのか」と時々思い出すことがあります。
そんな自分に、高校時代の自分に伝えたい言葉に出会ったので、ドラマのセリフを紹介しようと思います。
フランスでは、いじめる方が病んでいる
※2巻からの引用です
どうしていじめられてる方が逃げなきゃならないんでしょう。
欧米の一部では、いじめてる方を病んでると、判断するそうです。
いじめなきゃいられないほど、病んでる。
だから隔離して、カウンセリングを受けさせて、癒すべきだと考える。
でも日本は逆です。いじめられてる子に逃げ場を作ってなんとかしようとする。
DVもそうだけど、どうして被害者側に逃げさせるんだろう。
病んでたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは、加害者のほうなのに。先生や親に「あいつにいじめられたよ」って「あいつ病んでるかもしれないから、カウンセリング受けさせてやってよ」って・・・。
みんなが簡単に言えるようになればいいと思う。セリフ:ドラマより引用
真実はひとつなんかじゃない。人の数だけあるんです
真実はひとつなんかじゃないですよ。
たとえば、AとBがいたとしましょう。
あるとき階段でぶつかって、Bが落ちて、怪我をした。
Bは日頃からAにイジメられていて、今回もわざと落とされたのだと主張する。
ところがAは、いじめている認識など全くなく、遊んでいるつもり。今回もただぶつかったと言っている。
どっちも嘘はついてません。この場合、真実ってなんですか?Aはいじめてないんだから、Bの思い込みだけで、ただぶつかって落ちた事故だろ。
本当に?
いじめていないというのはAが思っているだけです。
人は主観でしかものをみられない。それが正しいとしかいえない。
そこに一部始終を目撃したCがいたとしたら、またさらに違う印象を持つかもしれない。
神のような第三者がいないと見極められないんです。
どちらも嘘をついていなくても、話を盛っていなくても、必ず食い違う。
AにはAの真実がすべてで、BにはBの真実がすべてだ。
真実は一つなんかじゃない。人の数だけあるんですよ。でも、事実は一つです。
この場合、AとBがぶつかってBがケガしたということです。警察が調べるのはそこです。
人の真実なんかじゃない。真実とかいうあやふやなものにとらわれているから冤罪事件とか起こすのではないでしょうか?セリフ:ドラマより引用
まとめ:全員正しくて、全員間違っている
なぜ、高校時代のAをいまでも思い出すのか。
本当は「何もできなかった」ことを後悔しているのではなく、自分を否定されたから。
Aが不登校の間、ホームルームを開き、過去にいじめを受けたこと、自殺を考えたこともある。と、大演説した担任。
Aがやめた途端、「いじめはなかった」と言い出しました。
Bはお咎めなしどころか、かわいそうな被害者です。
クラス全員、BがAをいじめているのを目撃していたのにもかかわらず…。
私は、仮にいじめがなかったとしても、Aがいじめられたと言い学校を辞めた以上、Bの行動には問題があった。と発言しました。
これが大問題となり
- 考え方がおかしい
- 人として間違っている
- Bを責めるな
私は人間性に問題あり。と判断され、担任が家まできて両親と面談を受けました。
でも私は、今でも自分が正しいと思っています
とはいえ、担任もBも正しく、同時に私も担任もBも間違っていたのです。
なぜなら「Bに問題がある」とした場合、Bにどんなケアをすればいいのか、当時は誰もわからなかったから。
でも今は違います。整が言った言葉
- 病んでたり迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは加害者
- あいつ病んでるかもしれないから、カウンセリング受けさせてやってよ
みんなが簡単に言えるようになればいいと思う。
もし、そんな世の中になれば、いじめに悩む人は減っていくと思います
ではまたっ!
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