【幸せになりたい】死について考えて今の幸せを感じてみよう

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看護実習で受け持っていた患者さんが、実習中に亡くなりました。

高齢で癌を患ってはいましたが、一般病棟で過ごしており医師も想定外と言っていました。

「ありがとうございました。また明日もよろしくお願いします」何気ない会話が最後の言葉になるなんて。

まさか翌日エンゼルケア(死後の処置)を見学することになるなんて、思いもしませんでした。

死は覚悟していたでしょうが、あまりに突然で残す想いも多かったと思います。

とはいえ、どんなに準備をしていても思った通りの最期を迎えられる人なんていないでしょう。

本当にこれでよかったのか?もっとできることがあったのではないか?

死と向き合うたびに、今生きることの大切さを実感させられるのです。

前置きが長くなってしまいましたが、あなたが幸福感を高めたいと感じているなら「死」について考えてみればいいということです。

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幸せになりたいなら、死について考えてみよう

森

元気なうちに、とにかくやりたいことをやる

病気になると、海外や国内でも「行きたくても行けなかった場所」へ行きたくなりませんか?

元気なときは旅行なんていつでも行ける、ゆっくりするのは退職してからでいいかな。

行きたかった所へ行き、食べたいものを食べ、自分の欲求を我慢しない。

健康な時は仕事を休めない、子どもが小さいからと我慢してきたことも「二度とできないかも」と考えると急に後悔しだすのです。

見られなかった映画を見る、マンガをまとめて読む、と趣味に没頭するのもいいでしょう。

死について考えると健康だった時には気にも止めない小さな出来事をありがたく感じ、感謝するようになるのです。

天気がよかった、知らない人から親切にされた、家に無事に帰ってこられたこと。すべてが特別でありがたいことなのです。

残念なのは、旅行に行っても病気で体力が減っていることや、食事の量が減っていることです。

病気でなければもっと動けるし、たくさん食べることができたはずなんです。なのに、病気にならないとその大切さに気付けないことが悲しいのです。

過去の後悔をなくしたい、伝えられなかったことを言う

初恋の人に想いを伝えたい、ひどい事をしてしまった人に謝りたい。

自分勝手な行動にも見えますが、死について考えたとき過去の後悔を消そうと考えます。

「あのとき、ああしておけば」「今はどうしているのだろう」

病気でない時には気にも止めない、過去のモヤモヤの答え合わせをはじめます。

一方的でもいいからとにかく知りたい、伝えたい。

それは自分が前に進むため、過去との決別をするためです。

この世に後悔という未練を残しておきたくない。

後悔のない人間なんていないでしょうが、死を目の前にすると過去の過ちがどんどん苦しくなるのです。

もし心にもないことを言いそうな時には、帰り道で事故にあっても後悔しない言葉を選ぶようにしてくださいね。

生きた証を残したい、忘れないでほしい

身体が思うように動かなくなり、室内で過ごす時間が増えると、身辺整理や手紙・遺書を書いたりします。

それは何かを残したい、覚えていてほしいという思いからなのでしょう。

会いたかったけれど居場所のわからなかった人へ、届かない手紙を書いてみたり人に見られたくない物の処分をはじめたり。

生きた証を残したい、覚えていてほしい。だけど悲しむくらいなら忘れてほしい。

死を受け入れても、複雑な想いはずっと続くのです。

頭のなかで考えだけが巡るけれど、実際身体は思うように動かない。

起き上がるにも手助けが必要な状況になったとき、あなたは何を伝えたいですか?

家族と過ごす、何もない時間が幸せ

生活を変えたくない、と仕事を続けてきた人も最後に思うのは家族のこと。

大切な人達とたわいのない会話をしたい、もう話すことはできなくても、ただそばにいて欲しい、穏やかに過ごしたい。

お茶がおいしいと思える幸せ、家族が手を握ってくれることの幸せ。

なんでもない日常が実は一番貴重で、かけがえのない時間だったと気付きます。

いくら受け入れたと思っていても、死ぬことは恐怖です。

ナースがどんなに寄り添っても、最後に患者さんが望むのは家族です。

損得ではない、ただ一緒にいてくれる人の存在に最後は癒されるのです。

人は一人では生きられないし、死ぬこともできない

私自身、いたらいいなとは思いますが「幽霊」の存在には否定的です。

しかし病院で働いていると、亡くなる数日前から(実際にはもっと前からだんだん回数が多くなる)亡くなったはずの家族が「部屋に来ている」と話す人がいるのは事実です。

本人は全く怖がっておらず「そこにいるでしょ」とうれしそうに話すのです。

実際には誰もいないので私的にはちょっと怖いのですが、人は一人では生きられないですし、「誰かと一緒に死の恐怖を和らげたい」という願望が見せる「幸せな幻覚」だと勝手に解釈しています。

最後に

チェ・ゲバラの名言に
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?
あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なのですか?」

というものがあります。

何の変哲もない日常も、命を使って生きるのか、命を延ばして生きるのか。

時には死と向き合って、今の自分の幸福を確認することも必要でしょう。

ナースという職業柄、いくつかの死をみてきましたが「死と向き合っている人ほど、生を感じている」ことに皮肉を感じます。

お金と時間が手に入ったら、あなたは何がしたいですか?

明日死んでしまうとしても、同じことをしたいですか?

自分は不幸だと感じたら、自分に問いかけてみて下さい。

死について考えるおススメの本はこちら

第1段階:否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階
第2段階:怒り
「なぜ自分が死ななければならないのか」と、周囲に怒りを向ける段階
第3段階:取引
死なずに済むように「神」と取引をする。何かにすがろうという段階
第4段階:抑うつ
「死は避けられない」気持ちが滅入り、なにもできなくなる段階
第5段階:受容
自分が死に行くことを受け入れ、心に平安が訪れる段階
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