トラウマの治療の際フロイトは「トラウマと向き合え」としてきました。
しかし今は、アドラーの「トラウマはなるべく思い出さない」というのが基本的な考えになりました。
今回はフロイトとアドラーを比較するため、いじめ問題について考えてみようと思います。
「フロイト」より「アドラー」が受け入れられた理由
まず初めにフロイトとアドラーの最も大きな違いを紹介します。
フロイトは【原因論】、アドラーは【目的論】といいますが、同じ悩みに対してどう考えるのかが大きく違うところです。
例えば悩みが「お腹が痛い」だったとします。
過去の原因→おやつにアイスを食べすぎた
解決方法→アイスを減らして、お腹が痛くならないようにする
未来への目的→お腹が痛いのを治したい
解決方法→温めて、お腹が痛くならないようにする(治す)
このように「お腹が痛くならないように」という同じ結論でも、原因を追究するのか目的を達成するのかで考え方が違ってくるのです。
職場でもミスがあった時「誰がやったの?」と犯人捜しをする人がいますが
犯人を捜し出して原因を追究するのがフロイトの「原因論」
犯人捜しはせず、ミスをなくす目的を追求するのがアドラーの「目的論」
「罪を憎んで人を憎まず」の精神です。日本人には馴染み深い言葉でしょう。
アドラー心理学が多くの人に受け入れられた要因は、この考え方にあるのです。
ジークムント・フロイトの考え
心理性的発達理論
フロイトは成人の性欲とは違う、子どもの「幼児性欲」を提唱しました。
具体的には「口唇期」「肛門期」「男根期」「潜在期」「性器期」があり、0~13歳の間に5つの段階を経て心理発達するとしています。
そしてこの発達段階が満たされないと、神経症になりやすいと考えました。
例えば「口唇期」が満たされないとどうなるか
口唇期がみたされない=母親との唇の接触が少ない
つまりフロイトは乳離れが早すぎると、口からの刺激がたりなくて、過食になったりタバコを好むようになるとしたのです。
フロイトからみる「会食恐怖症」
人前で食事ができない症状がでる神経症に「会食恐怖症」というものがあります。
こちらで詳しく書いていますが、(人と食べるのが恥ずかしい?それは【会食恐怖症】かもしれません )給食など他人と食事を取ろうとすると体調が悪くなる病気です。
フロイトはこれを「食事は食物を摂取する行為=食物と結合(性行為)する」と捉えました。
結合=性行為の象徴のため、食事を恥ずかしいと感じるのは無意識に性行為と結びつけて考えているからという理論です。
しかも「口唇欲求(口での性欲)が強いために恥ずかしさを感じている」というのです。
全てを性欲に繋げる考えは、弟子のユングからも批判されています。
夢分析(無意識)
夢占いは、フロイトの夢分析が元になっています。
フロイトは人間の行動や発言は「無意識」が大きく影響すると考え、その無意識が形として現れるのが「夢」だとしたのです。
例えば「海ヘビが泳ぐ」夢をみた場合
- ヘビ→男性の性器
- 海に潜る→性行為
診断は、性行為を望んでいるとなります。
そんなことはない、と主張しても無意識だから気付いていないだけと言われたら反論することができません。
現在は夢を意識的にコントロールすることもできるので、夢占いには何の根拠もないといえるでしょう。
アルフレッド・アドラーの考え
課題の分離
相手の機嫌と自分が話しかけることは別々の問題(課題)だと述べました。
機嫌を直すか決めるのは相手の課題、怒っている理由を自分と関連させてはいけない
●話しかけないでおこう
話しかけるか決めるのは自分の課題、話しかけない理由を相手のせいにしてはいけない
もしかしたら笑って答えるかもしれませんし、気にしてほしくてわざと不機嫌にしているのかもしれません。
つまり、空気を読むことが必ずしも正しいとは限らないということです。
課題を分離して、自分で決めたことを他人のせいにしない
上司から残業を頼まれたとします。断ったら嫌味を言われるかもしれません。
●断って嫌味を言われたくない
→デートをキャンセルして残業した
→デートに行けなかったのは「上司のせい」
この場合「上司が嫌味を言うこと」と「デートに行けなかった」のは別の問題です。
- 嫌味を言う、言わないを決めるのは上司の課題
- デートに行く、行かないを決めるのが自分の課題
嫌味を言われたくないと、デートを断ったのだから決めたのは自分です。
アドラーは「まず人間は行動をとり、過去に行動の理由を求める」とも言っています。
共同体感覚
共同体感覚とは、自分の置かれている環境にどのくらい馴染むことができるかという能力です。
人は誰もが家族や会社などの一員で、自分は所属しているという「共同体感覚」で幸福を感じるとアドラーは考えました。
さらにアドラーは「共同体感覚」を対人関係のゴールだとして、必要なことを3つの項目にまとめました。
自分に与えられたものをどう使うのか。自分の良い所も悪い所も、ありのままを受け入れること。
2.他者信頼
他者を信頼して仲間だと思うこと。人を信じるのに条件をつけないこと。
3.他者貢献
他者に尽くすことで自分の価値を実感できる。幸せを感じられること。
いじめ・不登校に対する考えを比較する
いじめに対する考え方を、フロイトとアドラーに分けて考えてみようと思います。
いじめの原因は何か、フロイトの原因論
「どうして学校に行かないのか」原因を、過去の経験などから探ります。
「学校でいじめられているのではないか」「いじめはなぜ起こっているのか」といった原因を過去にさかのぼって探します。
→いじめられている
→なぜいじめられているのか
→成績が悪いから?太ってるから?
こう考えると「成績を良くしないとダメ」「痩せなくてはダメ」といじめられた側を否定することになります。
フロイトの原因論では悪い原因を見つけていくため、こればかりを続けると精神的にかなり苦痛を感じます。
もちろん自分が変わることは必要ですが、いじめる側に「いじめたい」という気持ちがある限りは、こちらがどう変わろうともいじめがなくなることはないのです。
いじめの目的は何か、アドラーの目的論
「どうして学校に行かないのか」どんな目的を達成したくて行動を起こしたのか探ります。
アドラー心理学では、いじめと不登校を別の問題と考えます。
なぜなら学校に行かないのは自分の課題、いじめは相手の課題だからです。
それぞれの目的について考えます。
学校に行かないことで何を望んでいるのか
いじめに気付いてもらうため?
母親にかまってほしい?
学校を困らせたい?など
いじめることで何を望んでいるのか
自分を強く見せたい?
羨ましい(成績が悪くても怒られない)
人を傷つけたい(自分より不幸な人をみたい)など
不登校に関しては、本人が学校に行かないことで得ようとしていた目的を達成できるよう手助けします。
上記の例なら、大人に気付いてほしい、母親に見てほしい目的の手助けをするのです。
いじめた側に対しては、いじめで得ようとしていた本来の目的を達成できるように手助けをしていくのです。
- 塾に通っているのに、テストの点数が悪いと親に怒られる
→遊んでばかり、テスト点が悪くても怒られないアイツをいじめてやろう
実際はこんなに簡単ではないですが、いじめをしている子どもに親が怒ることがなくなれば、いじめはなくなる、というのが目的論の考え方です。
アドラーは未来を考える心理学、フロイトは過去にさかのぼる心理学
問題解決には原因論と目的論、どちらも必要。
アドラーは現在と未来を見れば、過去に起きた原因はわからなくても問題は解決できるとしていますが、それだとやはりスッキリしない部分が残ります。
学校に行かない目的は「母親にかまってほしかったから」とだけ伝えても、何で?どうして?と理由を知りたいと思うのが人間というものです。
過去の嫌なことを思い出すだけでは、気が滅入ってしまうこともあるでしょう。
苦しいことは思い出さず、前向きに悩みを解決できるのがアドラー人気の秘密でしょう。
フロイトがダメなわけではなく、原因の追究も必要です。問題を解決するには原因論と目的論、両方の良い部分を使うのがベストといえるでしょう。
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ではまたっ!
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